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  • 市川里美

タイパと心へのアクセス

 映画やドラマを倍速で観る人が増えていると聞きます。料理のレシピ動画も、これまで5〜10分が主流だったところ、今では「1分でも長すぎる」と言われるそうです。本の要約やあらすじをまとめた書籍やサイトもあるとのこと。時間をかけずに情報を得る、“タイパ”の時代というそうです。


 “タイパ”とは、「タイムパフォーマンス」の略で、時間効率が良いか悪いかという観点からものごとをとらえるようです。時間をかけずに早く効率的に結果や成果を得る、ということがこれまで以上に求められてきているということなのでしょうか。そのような流れの中では「心」は置き去りにされてしまいそうです。「心」のことを考えていたら、時間効率は上がらないでしょう。「心」のことは気にせず、さっさと進めなければタイパは望めない。タイパと心はとても相性が悪いといえそうです。


 例えば「人との関係を作る」ということを考えてみましょう。初対面で「意気投合する」ということもまれにあるようですが、大抵の場合、同じ時を過ごしながら少しずつ関係を築いていく、ということになるのではないでしょうか。「気心が知れる」という関係になることに、時間効率を求めることは難しい。一見すると無駄と思える時間も実は必要でしょうし、逆にいくら長い時間を過ごしたからといって、気心が知れるとは限らない。お互いの心を知ることをタイパで考えることはそぐわないことは、すぐにわかることと思います。


 人の心を知ることだけでなく、自分の心を知ることもタイパの観点では到底とらえられないものです。不登校の生徒は、何時間カウンセリングをしたら登校できるようになるのでしょう? 引きこもりの若者は、何ヶ月ひとりで過ごししたら元気に外出できるようになるのでしょう? さまざまな心の問題は、何回カウンセリングしたら解決するのでしょう?  1日24時間という現実に流れている時間とは、異なる時間がそこにはあります。もし心が閉ざされていれば、まずは心を開くことに時間が必要です。もし自分の心へアクセスする経験が少ないようであれば、心にアクセスする方法を模索することから始まります。そこにタイパを求めることはできないのです。それを受け入れることが、心へのアクセスへの始まりかもしれません。

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