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  • 市川里美

「自信がない」

 そもそも「自信」とはどんなものなのでしょうか。辞書には、「自分で自分の能力や価値などを信じること」(三省堂国語辞典)、「そのことを間違いなくうまくやることが出来るという自己評価」(新明解国語辞典)、「自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと」(コトバンク)、「劣る点や恥じる点がないと感じて、堂々としていること」(Weibo辞書)とありました。このような意味での「自信」を全面的に「持っている」と言い切れる人は、日本の中では少ないのではないでしょうか。日本では「謙遜」が美徳とされるところもあり、「私は自信があります」とはっきりと言うこと自体も少々厚かましいような、あるいは、プライドが高すぎるような、もしかしたら自己愛的で妄想的にも受け取られてしまうようなこともあるように思います。

 

 心理カウンセリングに訪れる方がお話しされる「自信がない」は、この辞書的な意味とは少し違うように感じます。詳しくお話をうかがっていくと、「自分を信用できない」「自分の意見を言うと、どう思われるかが怖い」「失敗が怖い」「うまくできるかどうかと考えると緊張して、おどおどしてしまう」ということや、「居場所がないと感じる」「周囲となじめない」ということが、「自信がない」ということばの中にあるようなのです。「自信がない」というよりも、「不安を感じている」「自分が自分のままでいることに安心できない」と言う方が適しているように思えます。


 失敗を恐れて新しいことに取り組めない人や、きっと出来るだろうに、おどおどして怖がっている人に対して、「もっと自信を持って!」と励ましたり、「自信を持たせたい」と考えて成功体験を増やそうとしたり、とにかく褒める!ということがよく聞かれますが、実は安心、安全を感じられるようにすることが必要なのかもしれません。

 では、安心はどうやったら感じられるようになるのか。それは、周囲との関わりの中で感じられるものです。常に評価・批評される環境や、無視されたり、攻撃されたりするような環境では、当然不安になるでしょう。安心は、自分が起こしたアクションに対して適切に対応してもらえ、自分の存在が認められているとしっかりと感じられる環境で生まれます。このような環境は生涯必要なものであり、なくなれば当然不安に陥るでしょう。


 もう一つ、安心の土台は、赤ちゃんの頃の養育者との関わりで築かれます。赤ちゃんがなにかをなげかけたら、しっかりと応じてくれる、泣いていたらやさしくあやしてくれる、お腹を満たしてくれる、おむつを取り替えてくれる。ことばを話せるようになって、「なぜ?」「どうして?」と問いかけたら目を見て答えてくれる。そのようなやりとりを積み重ねていく中で、自分の存在を確かなものとし、安心を得ます。


 このように考えると、自信を自分一人の力では生むことは難しいことです。もし今「自信がない」と感じていれば、安心を感じられる環境を探すことがよいのだと思います。


 ただ、「自信」という感覚には、持って生まれた(生得的な)脳や神経伝達、遺伝子といったものも関係していることもあります。赤ちゃんの頃にしっかりと応じてもらえても、安心が生まれにくい、安心を感じられるような環境にいても、不安を感じやすい遺伝子、脳の特性があることもわかってきています。

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