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市川里美

蛙化現象 精神分析と自己心理学の視点から

 昨年、蛙化現象ということばが、Z世代で流行したそうです。蛙化現象とは、好きだった相手が自分を好きだとわかったとたんに相手を嫌いになってしまう、気持ち悪いと思ってしまうということで、さらには、好きな相手のちょっとした行動や言葉、態度での嫌な面(食べ方がきれいでない、店員さんへの横柄な態度など)を見て、好きだという気持ちがパッと冷めてしまう、嫌いになってしまう、「無理!」となってしまう現象も含めるようになったようです。

 そもそも「好き」という感情は変わりやすいものかもしれません。「好き」は、一種の興奮状態と言ってもよく、非常に不安定なもので持続性が乏しい。「愛している」と思い、結婚しても、その2年後にはその時の感情は冷めてしまうようで、「愛情は2年の寿命」という話もあります。「好きだ!!」という感情は、案外刹那的ものです。


 こう考えると、蛙化現象は当然起こりやすいものなのでしょう。特にZ世代の若い人たちは、感情の揺れが大きい時期にいます。思春期とその前後には、「感情のジェットコースターに乗っているようなもの」と例えられることもあります。思春期に特異的な脳の発達プロセスやホルモンバランスなど生物学的な要素によるものが大きいといえそうです。


 一方で心理学的に考えていきますと、精神分析、自己心理学の視点からは次のような解釈ができるかもしれません。

 生き物は、たとえ同じ種(犬、あるいは犬種のゴールデンレトリバー、ダックスフント、チワワ)であっても、一個体ずつはそれぞれ違いがあります。個性がある。顔も同じではないし、体の大きさや鳴き声、性格も違う。ヒトも同じように違います。全く同じ人はいない。背丈などの見た目だけでなく、感情や思考、感覚、ものの見方、まったく同じヒトはいない。しかし、ヒトは自分の感覚と同じものを相手も持っていると思いがちのようです。自分の思ったこと、考えたことを同じように相手は感じているはず、考えているはず。そうであってほしいと期待する。

 たとえば、うれしいことがあったとき同じようにうれしく思ってほしいですし、悲しい時には同じくらい悲しんでくれるはずだと、無意識のうちに期待してしまうのです。そして、それがかなったときには、「共感してもらえた」「寄り添ってもらえた」という気持ちで、うれしく満足感も得られる。しかし、相手の反応が期待したようなものでないとき、「違う」「裏切られた」という思いが沸き上がる。「そんなこと一ミリも期待していない」と思っていても、知らず知らずのうちに無意識に期待しているのです。(無意識を扱うのが精神分析理論です)。

 また自己心理学の視点からみると、「自己愛の傷つき」と考えます。期待通りに応えてくれない相手に「傷つけられた」と感じるのです。「恥をかかされた」とも感じる。さらにはその傷つきから激しい怒りが生じるときもあります。これを自己愛憤怒(じこあいふんぬ)といいます。この怒りは激しく、いくら相手が謝罪しても、相手を土下座させてもその怒りはおさまらない。それほどの怒りです。

 蛙化現象をこのように見ていくと、過度な期待を裏切られて自己愛が傷ついたことから生じた現象と言えそうです。相手への期待が大きすぎるとき、相手に完璧を求めるとき、相手と自分とは違うということを見失っているときに蛙化現象が生じやすいと言えるかもしれません。

 先ほど述べたように、思春期だから生じやすいという側面はあり、成長とともに、相手と自分が違うということを知り(自他境界が明確になり)、相手にはそこまで求めることなくとも、健全な自己愛を保つことができるようになるでしょう(相手に過剰な期待をしなくなる)。そして、蛙化現象は起こりにくくなる。

 ただ、うまく成長できないときには、相手に対して過度な期待をもち、その期待に応えてくれないことに傷つき、激しく怒り、関係が破綻するということを繰り返してしまうことが起こります。そのことに本人自身は気がつくことが非常に難しいようです。「相手が悪い。自分は悪くない」という考えるからです。


 怒りの相手は恋愛対象だけとは限りません。期待に応えてくれない自分の子どもに対してその怒りが向けられれば児童虐待となるでしょう。

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