• 市川里美

自己愛を満たすことは一生必要なこと  

あいさつと自己愛

 あいさつをしたとき、相手にあいさつや笑顔を返されるとうれしいですね。それは自己愛が満たされたからです。また、好きなスポーツ選手やチームが活躍したときには自分もうれしく、誇らしく感じる。これも自己愛が満たされたということなのです。「推しがいると頑張れる」「エネルギーをもらえる」と感じるのも自己愛が満たされているのです。

 同じ故郷の出身の人とわかるととてもうれしい気持ちになること、同じ趣味の人と話すと楽しくなること、このようなことも同じことなのです。

 自己愛が満たされることを人は一生必要とします。また自己愛を満たしてくれる対象(人、仲間、場所、音、匂い…)を求める気持ちをもっています。そのことをいったのはアメリカの心理学者のコフートという人です。

 

自己愛? わがまま? 

 しかし「自己愛」ということばからは「自己中心的」「自己本位」というイメージが浮かびやすいです。「自己愛が強い人」というと「わがままな人」「ちょっとやっかいな人」という印象でしょうか。フロイトという精神分析を興した人は自己愛の不健康な側面を語りました。「自己愛が強い=わがまま」という図式はそれを反映しているようです。しかし、コフートは自己愛の健康な面を語りました。同じことばでも中身が違っているのです。


 コフートは、人は自己愛が満たされたとき幸せに感じ、自分も相手も大事にし、自身の能力を十分に発揮できるようになるといいます。そして、自己愛を満たすことは大人になっても必要、一生必要なものだといいます。


自己愛が満たされないとき

 挨拶したのに挨拶を返してもらえなかったとき、どういう感情が起こるでしょうか。「聞こえなかったのかな?」「忙しいのかな」と理由を考えることもあるでしょう。そこにはすでに心の傷つきが生じています。悲しく感じているのです。もやもやした嫌な感じもあるでしょう。「無視された!」と怒りがでてくることもあるでしょう。あまりに傷つきが大きいと怒りも激しくなります。「馬鹿にされた」「なんてやつだ」「なんであいさつしないんだ!」と相手を責める行動に及ぶこともある。これを自己愛憤怒といいます。この怒りは激しいものでなかなか収まりません。激しい怒りの背景には傷ついた悲しみがあるのです。


怒りの背景にあるのは自己愛の傷つき

 自己愛が傷つくと怒りが生じる。怒りの背景には傷ついた自己愛がある。とても悲しい。苦しい。傷つけた相手に怒りをぶつけたくなります。あるいは相手への怒りを感じずに、自分を責めてしまうこともあります。自分の存在さえも不要なものではないかと感じ、消えたくなる。自己愛が傷つくということは、命を脅かすまでに大きな心のダメージとなるのです。

 この怒りはなんだろう、この自分を責める気持ちはなんだろう、自分の自己愛が傷つけられたのではないだろうかと気づき、ケアをすることが必要です。何度も何度も自己愛を傷つけるような相手とは心理的距離を取って防衛することも必要です。お互いに自己愛を大切にできる関わりが、心の安心、心の健康につながります。