「私」はどうやって、「私」が「私」であることを知っているのでしょうか。「自分」が「自分」であることに確信が持てているのはどういうことなのでしょうか。
この本の中で「意識」についてこう問いかけます。例えば、自分がコウモリになった時、それをどうやって知るのかというのです。「コウモリになった」と気づいているということは、コウモリになった以前の「自分」の意識が残っていることであり、今もコウモリではない「自分」が意識として在るということになります。つまり、完全にコウモリにはなっていないのだというのです。完全にコウモリになっているのならば、コウモリの意識となっているはずで、以前の自分のことはもうそこにはないはずなのです。ですので「コウモリになった」ということは気がつくこともないのです。それまでの「自分」のまま、コウモリの意識を持つことができていないということにもなります。
そうしますと、現在の「自分が自分である」という意識は、現在のみの意識であるかもしれず、その前には別の意識があったかもしれません。生まれてからの自分はつながっていると考えていますが、実はその連続性についてはただ思い込んでいるだけものかもしれません。「自分」の意識とは本当のところ、どこにあるのだろうかと考えさせられます。どこにもないのかもしれません。脳が作り出している幻影かもしれないのです。
また「意識」について問いかける実験が載っています。2枚の異性の顔写真を同時に見る実験です。写真を見たらすぐに自分の好みの写真を答えるように指示されます。しかし答える前にすでに好みの方の写真を注視していることが示されます。「答える」という意識に上った行動をする以前に、すでに好みの方の写真をしっかりと視線が捉えているというのです。つまり意識することがないままに視線は勝手に動いて好みの方の写真を見てしまっているということになります。
もう一つ「リベットの親指の実験」という有名な実験について。自分の好きな時に「はい」と言って親指を立てることを指示されます。自分が意識して親指を立てるという行為をするのですが、その時の脳波を見ると「はい」という前にはすでに親指を動かすための脳波が動いていることがとらえられます。意識するよりも前に、脳は親指を動かすという指令を出しているということになります。ではその指令はどこで出されているのでしょうか。不思議な感覚になります。
自分のことは「自分」が意識をして動かしている、行動している、考えている、という感覚でいますが、実はそうではないようです。では、この「自分」という意識は何なのでしょうか。「心」の正体はどんなものなのでしょうか。脳が作り出したファントムなのでしょうか。興味がつきません。このようなしくみについて現在「自由エネルギー原理」という脳の大統一理論に基づく研究が進んでいるようです。
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