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不登校は失敗なのか? 親の焦り

市川里美

 我が子が不登校になると、親はとても焦ります。早く学校に行けるようにといろいろな策を講じます。特に不登校の要因として思い当たることがなく、家にいるときは元気でまったく問題がないように見える場合には、「なんとか学校に行かせたい」と親は考えます。「休みすぎると学校に戻りづらくなる」「勉強も遅れてしまう」「遅刻してもいいから1時間でも学校に行ってほしい」「今後、進路はどうなるのか」「このまま大人になって引きこもりになるのではないか」…先々のことまで不安になり、「今すぐに何かしなければいけない」「元に戻さなければならない」という思いが募ります。

 

 不登校経験者やその親たちは、そのような焦りが何も生まないということを語っています。登校へと仕向けるような親の言動は、かえって子どものストレスを高め、不登校を維持することともなりえます。親と口も利かなくなったり、食事を一緒に取らなくなったりと、親子関係も悪化していく。もちろん、不登校となったときの不安は親であれば誰しもが持つものだと思います。そのような思いなどまったくなく、「休んでいいよ」「ゆっくりして」などという気持ちをすぐに持てる親はほとんどいないでしょう。「家ではこんなに元気だから、学校に行けばなんとかなるんじゃないの」と考えていきますし、だんだん「単なるわがままじゃないの?」「勉強がしたくなくて、甘えているだけ?」と子どもを責める考えも頭をよぎってきます。

 このような親の思いについては、不登校に関する本にも多く書かれています。子どもが不登校に陥った時に多くの親が通る道のようです。どうしても一度はこの道を通らなければならないのかもしれません。が、もう一方で、親が親自身を責める気持ちから生じる思い、焦りのようにもとらえられそうです。「子どもを不登校にしてしまった。これは私の子育ての失敗なのではないか」「何か私(親)に足りないところがあって不登校になったのではないか」と、親自身が自分を責める。「普通」を外れてはならないと考えるまじめな親ほど強く持つ思いのようです。生まれてからの子育てを反省し、急いで修正し挽回しなければならないと考える。「失敗」を早く消したいという思いからくる焦り。「不登校はあってはならないこと」(=子どもは学校に行くべき)」という考えに縛られ、それが子育ての失敗であり、許されないような気持ち、完璧主義の気持ちが見えてきます。子どものためというよりも、親自身の思い。

 そういう思いに対して言いたいことは、不登校は失敗ではないということです。子ども自身の心が表れただけなのです。親のことも好きだし、学校の友だちも好きだし、学校で嫌なことがあるわけでもないし、子育ての失敗でもない、何も誰も悪くなくても不登校になることがあるのです。我々はつい、何か悪いものがあって、それを取り除けさえすれば元に戻るという考えにたどり着きやすい。けれどたとえ悪いものがいたとしても、不登校は失敗ではないのです。子どもの心の主張なのです。


 親も、そして先生も、不登校を「失敗」ととらえず、子どもの言葉にできない思いであるということをしっかりと受け止める。そして、ゆったりと長い目でみる。つらく大変なことですが、子どもの味方になってその成長を支えてほしいと思います。

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