前回、子どもの発信にできるだけ応答することで基本的信頼感という、生きていく上でとても大切な土台が作られると書きました。「できるだけ」と書きましたのは、いつも完璧に応じることが必要なわけではないからです。逆に時折失敗するくらいがよさそうなのです。それはイギリスの小児科医で児童精神科医のウィニコットが言ったことです。ウィニコットは小児科の診察で母と子の観察を重ねていく中、そのことに気づきました。
時折応答に失敗する母親をウィニコットは、「ほどよい母親 good-enough mother」と呼びました。(ここで「母親」といいますが、それは“女性だけ”という意味ではなく養育的な役割をする人を全てを指します。)もし完璧な応答ばかりが続いたなら、子どもはなんでも自分の思うようになるという錯覚から抜け出せず、成長できなくなってしまうというのです。しかし、子どもが不安な時、恐ろしさを感じる時にはすぐに気づき、声をかけます。「お腹すいたね」「怖かったね」「心配したね」と。その時、子どもの中に「なにかあたたかなものが生まれる」とウィニコットはいいます。それは、“ちゃんとわかってもらえている””お母さんはいつも味方だ”という安心感、信頼感といえそうです。
けれども子どもが不安を示す時、親のほうが不安になってしまうことがあります。親が不安に耐えられない時は、「怖かったね」「心配したね」と言ってあげられなくなります。親は自分の不安に耐えるので精一杯になってしまっているのです。そして子どもはもっと不安になってしまいます。
親にも、あたたかな安心をくれる人が必要です。
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